TAESSAY VOL.4

合理的配慮

最近、わずか1週間の間に2回もある鉄道会社の対応に憤慨してしまうできごとがあった。

1つ目は始発のA駅から40分ほど離れたB駅に向かおうとしていた時のこと。

そのホームに行くにはまだエスカレーターしかなく、係員の誘導でホームへ着くと5分後に先発する電車が待機していた。

係員はさっさとスロープを取りに行ったので、当然その電車に乗れるものと待っていたのだが、発車のベルが鳴りだしても一向に戻ってくる気配がない。

数分後、のたのたとスロープを持って現れた係員は、なんの悪ぶれもなく「次の電車でご案内します」の一言。

最初は穏やかに「前の電車に乗りたかったんですけど…」と訴えると、「到着駅に連絡ができないと乗車できない規則になっております」と、自分は何の落ち度もない、的確な案内をしているという態度だった。

「乗車時間が40分もあるのに、その間にも連絡が取れないことがあるんですか」と聞くと「あります」とぬけぬけと答えた。

この一言で、私の怒りの炎は燃え上がってしまった。

「障害者はいくらでも時間があると思ってるんですか?」「連絡しないで乗せたら罰則があるんですか?」…などなど、乗車できるぎりぎりまで、かなり強い口調で言ったが、面倒な人に当たったという感じが伝わってきた。

こちらの怒りは増す一方で、乗車するときには怒鳴り散らしたい感情を抑えるのに必死だった。

もう1つも始発からの乗車であったが、3分前ぐらいに改札を通ったので、「微妙に間に合うかどうか」というところだったが、エレベーターでホームに降りると、すぐにスロープを持った駅員がやってきた。

その時点で発車までは1分弱あった。

駅員は何も言わずに先頭車両へ向かうのでついていくと、発車ベルが鳴りだしても乗せてくれる気配がない。

また連絡が取れないからかとあきらめつつも、「この電車に乗りたいんですけど」と伝えると、「安全に乗せられないので」とお決まりの言葉が返ってきた。

その直後、その駅員は無線で「次の電車に変更します」と連絡していた。

どうやら、到着駅にはすでに発車した電車に乗せると連絡していたようだ。

ここで抑えかけていた怒りが噴出した。

「明らかに先の電車に乗れましたよね?」と確認すると、案の定「安全には乗せられなかったと思います」と返ってきた。

乗車客である私に確認なく乗車位置を駅員が勝手に誘導したこともイラついていた。

「あなた方がいう安全とはなんですか?」「乗客の意向は無視で駅員の都合で乗車位置が決まるんですか?」・・・。駅員は全く取り合う気はない様子で「安全が第1ですから」「先頭のほうが乗り換えがスムーズと言っておりますので」等々。

またもや私の怒りを逆なでする言葉が返ってきた。

私の怒りの矛先は、明らかに一般乗客としてあつかっていない態度に他ならない。

どちらの時も長時間の研修や会議の帰りに起きたことであり、5分でも10分でも早く体を休めたかった。怒りを表現するにはかなりのエネルギーと精神力を要する。

だからできる限り静かにしていたかった。

でもそれでは何も伝わらない、変わっていかない。

どんな形でもいいから、怠慢化した対応に問題意識を持ってほしい願いを込めて、身を削る思いで抗議した。

自宅の最寄り駅では、滑り込みで乗車できるかどうかの際は駅員が急いで駆け足でスロープを用意してくれる。

間に合わない時には「すいません、お待たせさせてしまって…」と本当に申し訳なさそうに声をかけてくれる。

こちらも恐縮きょうしゅくして「こちらもぎりぎりだったので、構いませんよ」というふうな会話になる。時間がない時を除いて、乗車位置の希望を確認してくれるし、わずかな時間差であっても乗り換えをするかどうか聞いてくれる。

そこにはわずかな時間でも早く一般の人たちとかわらない移動を確保していけるよう努めようとの姿勢が伝わってくる。

もちろん、安全を確保してくれての上だ。彼らのそうした対応にはいつも感謝している。

その駅に勤める各人の意識の差もあるだろうが、会社の体質もあるように思えてならないのは私だけだろうか。

※写真の鉄道会社と本文内容は無関係です。

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