taessay vol.2

仲間のために

先日、近況報告にと思い立って、母校を訪ねた。

社会福祉学部のみの4年制大学である。

在学中お世話になりっぱなしだった学生課長たちとしばし話に花が咲いた。

「ホント、よくやってたよな」「無謀なことばっかりするからこっちが怖かったよ」などなど。

今の活動を話すと、みなさん喜んでくださった。

そもそも大学に入ろうと決めたのは、養護学校(現・特別支援学校)からそのまま社会に出るには不安があったためである。

周囲には「福祉を勉強して仲間の代弁者になる」などとカッコイイことを言っていたが、社会に出る準備期間がほしかった。

福祉学部であればきっと周りも受け入れてくれるし、福祉だったら勉強もしやすいとの利己的な考えからだった。

受験に当たっては、本来1.5倍までしか認められていなかった延長時間を3倍にしてもらうために、担任と大学に交渉しに行った。

事細かに筆記の困難さを訴えてくれた担任がありがたく、こんなにも自分のことをわかってくれていたんだとうれしく思った。

おかげで、希望通りの時間をもらって受験し、合格することができた。ここでいまだに疑問なことがある。

慣れた養護学校の教員でさえ、解読不能で「秋元、なんて書いた?」と聞くような文字で書いた小論文をいったいだれが読んでくれたのだろう?

入学できた私は、寮での生活をすることとなった。そこで今の土台作りをしたと言っていい。

生活そのものに生きていく労力の大半を費やしていた。

それがあったからこそ、今の自立生活(できないことだけではなく、自分で行うには労力を要するものや時間のかかるものでも介助者のサポートを受けて自分の生活を組み立てていく生活)を選んだのかもしれない。

ホント、あんなんでよく学生生活を送れたものだと自分でも感心する。

まぁ、到底学生生活とは呼べないものだけど。

自分で簡単に着替えられるものに着替え、とりあえず朝は寮食で周りに手伝ってもらいながらおなかを満たし、今にも倒れそうな格好で時速4kmほどしか出せない三輪車で毎日通学した。

雨の日も。風の日も。授業の合間に2時間かけて洗濯を干し、大慌てで大学に戻るということも少なくなかった(ちなみに今は外出はもっぱら電動車いすでないと無理ですけどね)。

かなりの貧乏学生だったけど私にできるバイトなどはなかったので、生活費を切り詰めていた。寮食の残りをもらっておいて、食事も満足にできない手でおにぎりを作って持っていくこともしばしばだった。

1日の授業を終えて部屋に戻るとそこいら中にご飯が飛び散っていて、その片付けに1時間以上費やすこともあった。

むろん、今よりも随意的(自分の思った通り)に動かせた体だったが、それでも毎日毎日が生活との格闘だった。

自由な時間(興味のある分野の調べ物をしたり、サークル活動に費やすなど)はほとんどなかった。

今、考えれば何も4年間で卒業する必要はなかった。

6年ぐらいかけてゆっくり単位を取って学生生活を謳歌した方が、学生らしい経験を積めたと思う。

そう考えられるようになったのも自立生活運動にかかわったからだ。

当時の私はその場に一生懸命だったから、その状況に疑問を持つ余裕すらなかった。

苦労することは自分を磨いていくことになるが、障害ゆえの苦労はする必要はない。

その余計な苦労をしている間に本来すべき苦労ができるのだ。

今はそう考えている。

だから障害を持つ学生たちに私と同様の経験はしてほしくない。

学生ゆえの経験や苦労をたくさんして自分自身を成長させてほしい。

ただ、自分が積んできた苦労はしてきてよかったと思っている。

その苦労が原動力となって今の活動につながっているのだから。

お世辞にも優等生だったとは言えない、むしろ手のかかる学生だった私を支えてくれたたくさんの人たちに感謝が尽きない。

高校時代になにげなく言ったことが、今は現実になっているのは不思議である。多くの仲間のための働かねば!

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